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2012.01.11(SNS)

ネットやソーシャルネットワークが普及して豊かになったのか?貧しくなったのか?

先日、作詞家・総合プロデューサーの秋元康 氏がこのようなGoogle+で投稿をしていました。

わかったよ。
僕がなぜ、Google+に入り浸っているか?
6年前の劇場のロビーがここにあるんだ。
あの頃、ロビーのテーブルにずっと座って、
ファンのみなさんから、いろんな話を聞いていたもんなあ。
正しいMIXの打ち方、
カフェに可愛いコがいること、
入場までの並び方について、
教えてもらったり、

一緒にAKBの夢を語ったあの楽しさがある。

やすすにつきあってくれたみんな、
ありがとう。

 

この投稿を見て、普段思っていることをさらに強く感じました。ネットやソーシャルネットワークが普及して生活は豊かになったのか?貧しくなったのか?ということです。

ここでいう「豊か」「貧しい」という表現は、自分自身のココロに対してです。

 

私は、ほぼ1日8〜12時間ネットやパソコンを使った仕事をしています。これからパソコンを始める人にパソコンの楽しさを伝えたり、パンフレットやWebサイトを制作したり、パソコンやネットがないと仕事が出来ません。しかし、そんな生活を繰り返していると、ふと思うのです。果たして、パソコンやネットを使うことによって豊かになっているのだろうか?

 

確かに普段の生活は格段に便利になりました。FacebookやTwitter・Google+・mixiなどを使用すればメールも電話もほぼいらない状態。分からないことがあればすぐに検索してたいていのことは解決できます。そういう技術やサービスがない時代、辞書をひいたり、参考書を読みあさるなど、ある程度時間がかかりました。それが今や一瞬です。何を今さら的なことですが、それで人々のココロは豊かになったと私はあまり思えません。

 

私は、iPhone・iPad・MacbookAir・Androidを持っている根っからのデジタル人間ですが、特に最近感じるようになりました。待ち時間やちょっとのスキマ時間を埋めるべく、便利すぎるアプリやライフハック、ライフログなど情報が溢れています。

このスキマ時間に必要であった頭の体操が人間を進化もさせ、退化もさせたのではないかと思い始めています。

 

スマートフォンやタブレットでいつでもどこでものユビキタス社会が訪れ、ココロが豊かになるのか、貧しくなるのか私にはわかりませんので、これまで以上に実践して確かめていきたいと思います。

 

ユビキタスとは、情報化社会において、コンピューティング技術がいつでも・どこにでも存在し、コンピュータの存在をもはや意識することなく利用できる、といった概念のことである。

参照:ユビキタスとは (ubiquitous): – IT用語辞典バイナリ

 

 

 

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